証明済みの創価学会の謀略体質 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件≠検証する!! (第3回)

                      
共産党が北条浩(創価学会4代会長)らを訴えた「訴状」
    「反対者に対する報復」として盗聴を計画
 昭和五十五年八月二十六日、日本共産党は、宮本顕治氏(同党中央委員会幹部会委員長=当時)が原告になり、創価学会の北条浩会長(当時)以下、山崎正友、広野輝夫、竹岡誠治、北林芳典の各氏を被告として、民事訴訟に踏み切った。  この提訴以前、日本共産党は創価学会に対し公開質問状を提出しているが、学会は回答拒否。ほか同事件が二、三のマスコミでも報じられたが、これも無視していた。  ところが、提訴によって一般紙が報道したことか ら、創価学会も沈黙できず、山崎尚見副会長が次のようなコメントを発表する。  「なんら関知していない」――。  だがその一方で、山崎副会長自身が、被告人の一人、竹岡誠治被告と面談し、事情聴取(昭和五十五年六月末)を行なっていたことも、裁判の中で明らかにされている。  では、解説を加えながら訴状を紹介しよう。  「請求の原因  第一、原告は現在、日本共産党中央委員会幹部会委員長の職にあるものであ り、被告らによる原告宅電話盗聴(本件不法行為)が開始された一九七〇年六月当時は、日本共産党中央委員会書記長(同年七月七日以降同中央委員会幹部会委員長)の職にあったものである。  二、被告北条浩は、現在創価学会会長であり、本件不法行為当時は、創価学会副会長・参議院議員の職にあったものである。  被告山崎正友は、東京弁護士会所属の弁護士であるが、本件不法行為当時は、創価学会顧問弁護士であったほか、創価学会副理事長・青年部常任参謀、および学生部主任部長の職にあったものである。  被告広野輝夫は、本件不法行為当時、創価学会主任部長の職にあったものである。  被告竹岡誠治は、最近まで、創価学会副男子部長・創価班全国委員長・第四東京青年部長の職にあり、本件不法行為当時は、創価学会学生部の幹部だったものである。  被告北林芳典は、本件不法行為当時、創価学会学生部の幹部だったものであ る。」  以上が被告五人の創価学会経歴。このうち、北条浩被告は、提訴を受けてからほぼ一年後の昭和五十六年七月十八日、自宅風呂場で倒れ、急死する。  「第二、本件不法行為の内容――被告らによる原告に対する電話盗聴  被告らは、共謀のうえ、一九七〇年六月十日頃より、本件犯行が発覚したことを知って被告らが盗聴発信器(以下単に本件盗聴器という)を撤去した同年七月九日ころまでの間、東京都杉並区高井戸○○○所在の、当時の原告宅に設置された原告加入の東京三三二局○○○○番の電話(以下単位本件電話という)による電話交信を不法に盗聴し、もって原告の権利を侵害するという不法行為を行なっ た。」  「一、本件不法行為の動機  (一)言論出版妨害事件と日本共産党の活動  創価学会と公明党は、一九六七年頃から、一体となって、創価学会および公明党について第三者が論評した出版物について、自らの意に添わない場合、著者や出版社、さらに取次店、小売店にまで圧力を加え、その出版や販売を妨害する行為を重ねてきた。  こうした一連の言論出版妨害事件は長く隠蔽(いんぺい)されてきたが、一九六九年十二月に至り、藤原弘達著『創価学会を斬る』(日新報道刊)の出版妨害事件が明らかとなり、日本共産党不破哲三衆議院議員が、民主主義の根本をおかす重大な事件として国会質問で追及したことなどを契機に、大きな社会問題として発展してきた。  日本共産党は、この事件が、憲法と基本的人権、民主主義の根本に関わる問題であることを、広く国民に訴え、真相の解明と責任の追及に大きな役割を果たした。  創価学会幹部らと公明党幹部らは、当時、『言論出版妨害は事実無根である』と事実を偽わり、事態を乗り切る方針を決め、それを実行してきた。  しかし、この問題の真相が次々に明らかとなり、創価学会ならびに公明党の責任を追及する広範な世論 は、いっそう盛り上がり、厳しさを増すにいたった。  このような状況を見て、創価学会・公明党幹部らは、一定の謝罪をして体をかわす方が得策と判断し、この結果、池田大作会長は、一九七〇年五月三日の創価学会三十三回本部幹部会での講演のなかで、『今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う』『今後は、二度と同じ轍(てつ)を踏んではならぬと、猛省したいのであります」と述べ、謝罪と「猛省」の意を表明したのであった。  (二)日本共産党への逆うらみと報復のための盗聴計画  しかし、こうした『謝罪』や『猛省』も、じつは、単に世論の批判をかわすことを目的とした、言葉だけのものにすぎなかった。  二度と同じ轍を踏まぬ、などという言葉とはうらはらに、実際には、創価学会幹部らは、言論出版妨害事件で一貫して厳しい批判を行なった日本共産党を逆うらみして、同党に報復しようと企て、そのためには、同党の『内部情報』を入手しなければならないと考え、あえて、不法な電話盗聴まで計画するに至った。  なお、この計画は同時に、言論出版妨害問題につい て、今後、日本共産党がどこまでどのように追及してくるかを探り、その対策をたてることを目的にするものであった。」  昭和四十五年を前後し て、創価学会によるさまざまな言論出版妨害が明らかにされ、同会は世論の集中砲火を浴びた。  学会批判の作家・ライター・出版社等に対する圧力、妨害、嫌がらせの数々。学会のやることはすべて正しく、ほかは全部だめ、という排他主義の論理。そこには、憲法で定めた言論の自由などない。  平成三年前後から生じている、脱会者に対する学会の組織ぐるみの嫌がらせ も、先の論理と全く同じ。信教の自由など認めない。  こうした反社会的行為 を、一度ならず、何度も繰り返す。これはもはや、体質といってよい。  しかも、いくら批判されようとも、反省の色などなく法難≠ニ捉えて組織結束の糧(かて)にする。  だが、批判が拡大し、形勢不利と判断するや、首を引っ込めて嵐の過ぎ去るのを待つか、表向きの謝罪で逃げる。言論問題事件がそうであったし、昭和五十二、三年のvs宗門紛争も、また同じパターンであった。しおらしく謝罪しながら、陰で舌を出し、やられた報復のチャンスを待つのであ る。  言論問題の事件でも、先の訴状どおり、池田氏は頭を下げた。が、この当時の内部発言記録や元幹部たちの証言を聞くと、池田氏には反省のカケラもない。むしろ、仇(かたき)を取れ≠ニ号令しているのだ。  教団トップの、こうした救い難い精神構造が、やがて、盗聴という卑劣な犯罪を起こさせることになる。  訴状を続けよう。  「本件 電話盗聴の準備  (一)被告山崎正友弁護士、同広野輝夫による実行計画立案と、被告北条浩副会長らとの共謀ならびに資金供与  前記の動機にもとづき、一九七〇年四月上旬ころ、被告山崎正友弁護士、同広野輝夫らとの間で日本共産党の『内部情報』をひそかに入手するために、電話盗聴を行なうことが技術的に可能かどうか、まず検討された。  被告山崎正友弁護士は、東京都新宿区三二番地所在の創価学会本部の真裏に当時あった創価学会本部別館『五月荘』において、東海大学理工学部を卒業し、オーディオマニアで電波、電気関係の専門的知識をもっている被告広野輝夫らと相談し、同人から『盗聴技術はどんどん進んでいる』『電話盗聴の方法がいい』『いい機械をつかえば十分やれる』『自分でそのための機械をつくれる』という回答を得、電話盗聴が技術的に可能であることに確信を持つに至った。  そして、その後、被告山崎正友弁護士は、創価学会本部に被告北条浩副会長をたずね、日本共産党の『内部情報』入手のために電話盗聴を行なう計画を詳しく話し『やる以上はきちっとやります。本格的な手段でやらないとしくじるので、中途半端はだめです』と述べ、大がかりな作戦に出るので資金として一、〇〇〇万円くらいかかることも伝えたうえで、計画実行について許可を求めた。  被告北条浩副会長は被告山崎正友弁護士の右の提案について賛意を表したが、『重大なことであり、自分の一存だけでも決めかねるので、結論は少し待ってくれ』と述べた。  同年四月二〇日すぎ頃、被告北条浩副会長は東京都新宿区信濃町三二番地所在文化会館内副会長室わきの小会議室に被告山崎正友弁護士を呼び、計画をすすめるように話し、その場で活動資金の一部として三〇〇万円の現金を手渡した。  なお、活動資金はその後、同年五月末までの間に、二回目二〇〇万円、三回目五〇〇万円と二回に分けて、いずれも前記文化会館副会長室わき小会議室におい て、被告北条浩副会長から直接、被告山崎正友弁護士に手渡された。」       (以下次号)


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