証明済みの創価学会の謀略体質 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件≠検証する!! (第11回)

                      
宮本氏宅のみならず 共産党本部まで狙われた!
 人道と人権を説く宗教団体が、公党代表者の自宅を電話盗聴する。北条浩(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会幹部四人を被告とする、いわゆる「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。
 一審、二審とも、判決は被告側の全面敗訴で終わったが、前回に引き続き、原告・宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。  同準備書面は、宮本宅盗聴以外に、日本共産党本部についても盗聴の計画があったことに触れている。
 「1、拠点の確保(ニュー外苑ハイツ)  共産党本部盗聴を準備、実行するための拠点とし て、警視庁原宿警察署隣りのマンション・ニュー外苑ハイツの七階を借りた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 同マンションは、首都高速道路をはさんで日本共産党本部の向かい側に位置 し、部屋の前の通路付近から、日本共産党本部を見ることができた(昭和五八・三・一一、広野本人尋問)。
 広野供述によれば、渋谷区の地図を買い、日本共産党本部から一〇〇メート ル、二〇〇メートルと同心円を描き、その範囲内でできるだけ高いところ、電波の届きそうなところと、いろいろ捜し、四月一〇日前後に借りたという(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。
 部屋の間取りは、風呂トイレのついた二DKであった(昭和五八・七・一五、広野本人尋問)。
2、拠点での実行行為者らの準備活動  広野・竹岡らは、ニュー外苑ハイツを拠点に日本共産党本部周辺の調査を行なった。
 党本部周辺の電話線の状況と電話盗聴の技術的問 題、車や人通りの量の時間の割り出しなどの調査であった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問、昭和五七・一一・一七、広野本人尋 問)。広野の供述によれば、調査は一週間続けられたという。
 このような調査と並行してニュー外苑ハイツの拠点で、松本篤らは盗聴器の制作を行なっていた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 松本篤が、ほぼ毎日欠かさず来ていて、盗聴器(発信機)作成の仕事をしていたことは、被告・広野もこれを認めている(昭和五八・七・一五、広野本人尋問)。被告・竹岡は、この拠点にほとんど寝泊まりし、被告・広野も、ときどき泊まった(同広野本人尋問、昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。」
 盗聴という謀略活動の本拠地まで用意し、盗聴器まで作成しながら、党本部の盗聴を中止している。次のような理由からだ。
 「3、党本部盗聴の中止  調査の結果、四月二十五、六日ころ、広野から山崎に『残念ながら、不可能に近い』との連絡が入った。
 理由は、党本部周辺の警戒が非常に厳重であるこ と、および電話線がまとめて地下に入っていて、技術的に困難であるということであった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 この点については、被告・広野はほぼ同旨の詳細な証言をしている。一週間くらいの調査の結果、人通り、車の絶える時間帯がなく、実行は『ちょっと危ない』と思い、実行不可能と山崎に報告したという(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。  (略)
 七、原告宅盗聴への計画変更と準備  1、北林情報と計画の変更  被告・広野から、日本共産党本部の盗聴は不可能との報告を聞いた被告・山崎は、被告・北条には可能だという前提で話をしていたこともあり、ショックを受けたが、諦めず次のターゲットについての検討を、被告・広野、被告・北林と行なった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 共産党の幹部、議員等、いろいろな名前が出たが、被告・北林が、公安筋の情報として、日本共産党では、原告が自宅から電話で直接いろんなことを支持し、運営されているとの情報をもたらした(同)。
 その結果、被告・山崎は、原告宅周辺の調査をするよう広野に指示した。  被告・広野は数日後、山崎に対し、『意外と手薄で、非常に有望である』と連絡してきた。
 山崎は、創価学会の場合は、本部より池田会長のいる場所の方が、数十人、時には数百人という警備の青年がつき、厳重な警戒をしていることから、原告の場合も、表向きはそう見えなくとも、実際には厳重な警戒をしている可能性があると思い、さらに注意して調べるよう、指示した。
 調査の内容としては、ほかに、電話線の状況、周囲の交通状況、警察の場所や見回り状況等であった(同、昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。
 このころ被告・山崎自身、現場へ行き、点検をし、たしかに広野のいうとおり、原告が「ノーガード」に近いと確認している。
 2、被告・北条との再度の意思統一
 五月十日すぎ、被告・山崎は、創価学会本部副会長室わきの会議室で、被告・北条と会い、電話盗聴の目標を共産党本部から原告宅に変更する旨伝えた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 被告・北条は、これを聞き、山崎被告と同様、警護の固さを心配したが、被告・山崎が、『本当にノーガードに近い状態なんです』と、調査の結果を説明したところ、被告・北条は、『わかった』『やってみよう』と目標変更を了解した(同)。
 このころ、前記のとおり被告・山崎は被告・北条より、二度目の二〇〇万円の資金を受け取り、これを被告・広野に手渡している(同)。」
 こうした綿密な調査のもとに、原告・宮本宅の盗聴が実行に移される。総指揮官は当時・副会長の北条浩、現場指揮官は山崎正友という図式である。
 「3、拠点の確保(青木高井戸マンション) 原告宅電話盗聴の準備、および盗聴録音のための拠点として、被告らは、昭和四十五年五月一四日、杉並区高井戸東三丁目二四番九号所在、青木高井戸マンション四階D号室を賃貸し た。  訴状末尾添付の図面が示すとおり、同マンションは、原告宅から約二〇〇メートルの地点、道路をはさんだ反対側に位置していた。その屋上からは、原告宅の屋根を見ることができた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 被告・山崎は、この拠点を借りることについては広野を通じて指示し、賃貸契約は被告・竹岡が偽名を使って行なった、と供述した。そのことは、後に、被告・山崎が撤退作業のときに一つひとつの行動を点検した際、確認したという(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 被告・山崎の供述どおり、甲一一六号証(青木高井戸マンション賃貸契約書)を証言台で示された被告・広野、同・竹岡は、『高橋義夫』名の賃貸人は被告・竹岡の使った偽名であることを認めた(昭和五六・七・一五、広野本人尋問)。  さらに被告・竹岡は、連帯保証人欄の『佐藤功』の署名は、江口済三郎が、偽名で署名したものであることも認めた(昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。」  盗聴実行の本拠地を借りた実行グループは、再び、原告・宮本宅周辺の調査を開始する。
 「4、調査活動  宮本宅周辺の調査活動 は、特に念入りに行なわれた。  周辺の家の、共産党か学会員かの色分けや、周辺の時間帯別の交通量の調査、原告宅の米や牛乳などの消費量を調べるため、米屋や牛乳屋に学会員を住み込ませ調査した。盗聴器を取り付ける電柱や、原告宅の構造などは写真を撮り検討した(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 被告・竹岡は、盗聴器を取り付ける原告宅の電柱 に、下見としてよじ登り、(端子函の)状況などを調査した(昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。
 創価学会学生部の幹部であった奈良憲一は、他の学生部員らとともに、原告宅周辺の事前の調査活動に主に関与した。古川文隆、内田らは、これら学生部員らを動かすための組織的バックアップした(昭和五九・六・二七、山崎本人尋問)。奈良、古川、内田らの関与については、後に詳論す る。」
 ここに登場する古川文隆は、宮本宅電話盗聴事件がマスコミによって公にされたとき、創価学会本部の広報室に籍を置いていた。
 職務はマスコミ対策だ が、皮肉にも、その古川が逆に、マスコミから取材の対象にされてしまう。
 やがて、突然、都内の自宅マンションから姿を消 し、本部勤務を退職した。創価学会による犠牲者≠フ一人といえよう――。       (以下次号)


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