証明済みの創価学会の謀略体質 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件≠検証する!! (第10回)

                      
被告はいずれも学会大幹部の地位
          対立団体盗聴への最初の謀議
 北条浩(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会関係者四人を被告とする「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。
 一審・二審とも、判決は被告・学会側の全面敗訴だが、前回に続き、宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。  「2、被告・山崎と同・広野の謀議
 (一)被告・山崎と被告・広野が、日本共産党に対する電話盗聴の謀議を行なったのは、一九七〇年(昭和四十五年)三月末か四月初め頃、創価学会本部周辺においてであった。  二人は、前年秋までは、新学生同盟結成などの活動で毎日一緒にいる、という間柄であったが、その後山崎は、前述のとおり言論問題を契機に、公明党・創価学会の幹部中枢の仲間入りをし、活動の場を異にするようになっていったが、『共産党情報』の打ち合わせのため、当時はひんぱんに連絡を取り合っていた(昭和五六・一一・四、山崎本人尋問)。  被告・広野は、電話盗聴の話に積極的であった。被告・広野は、山崎から『一方的に押しつけられた』(昭和57・11・17、広野本人尋問)と供述しているが、他方、電話盗聴をやろうと決意したときの気持ちについて、次のように供述している。  『山崎(被告)の話を聞いて、創価学会の言論問題対策はよほど手づまりなんだな、と感じた』『もう一つは、日共からガタガタいわれて何やっているんだということで、学会のためになることがあれば、役に立ちたいという気持ちがあった』『(渡部演説)ともかく(日共は)とんでもない連中だという気持ちだった』(昭和57・11・17、広野本人尋問)。
 二人は、日本共産党の電話盗聴の可能性について具体的に検討することにし、山崎は、使用する機械などの技術的問題・経費・人数・対象・場所等、直ちに調査するように広野に指示した(昭和56・11・4、山崎本人尋問)。」  山崎とは山崎正友・創価学会顧問弁護士、広野とは学生部幹部だった広野輝夫である。  山崎の意を受けて、広野は、綿密な調査活動に着手した。
 「(二)広野は、これらの問題について調査を行なった。  電話盗聴の技術的知識を仕入れるために、山崎が北部方面(練馬、板橋、北区)の電電公社の職員で学会青年部の幹部に話を通じ、広野らが、電話局と電話についての技術や制度的調査を行なった(同)。
 機械について広野は、オーディオの専門知識はあったが、無線については不得手であったため、松本篤ら無線に詳しい学生部員の協力を得た(同)。
 広野は、三、四日後、『技術的には全く問題ない、資金は半年間のプロジェクトとして五〇〇万円、長期だともっとかかる』旨回答してきた(同)。」
 ここに「電電公社の職員」が登場してくるが、創価学会員である電電公社(現・NTT)の職員は、選挙活動時≠ノも活躍した、という事例がある。
 昭和四十年代、九州・熊本県下での話だが、こんな活躍≠セ。
 熊本県下の学会員が、公明党支持のF取り=i浮動票)のため、東京在住の友人に電話をかける。長距離電話のため、電話料金がバカにならない。
 そのため、学会員が、熊本県下の電電公社に勤める学会員に事前に話をつけ、無料≠ナ電話線を東京につなぐ、という行為である。すでに時効だが、学会員である電電公社の職員は、このような不正行為もしていたのだ。
 準備書面を続けよう。
 「3、被告・北条と山崎の謀議  広野の報告を受けて、被告・山崎は、創価学会本部・文化会館二階の副会長室わきの会議室で被告・北条と会い、電話盗聴計画についての打ち合わせをした。山崎は広野のレポートを見せ、『共産党の今後の出方について情報をとる手段としては最高である』と北条に話し、北条の質問に答え、機械・人・費用などについて説明した。  山崎は費用として
 『一〇〇〇万円ぐらい用意していただけないか』 と話した。北条は、
 『やれるものならやりたい』『ただ、これはたいへんなことだから、私の一存ではいかない。二、三日待ってくれ』 と、回答した。
 (山崎は、これを池田会長、そして二、三の副会長に相談する趣旨と理解し た)(昭和五七・四・七、同)。
 四、被告・北条の了解と資金提供  1、被告・北条の了解と資金提供  被告・山崎が、被告・北条に日本共産党電話盗聴の話をして二、三日後、北条は前記会議室で山崎に対して
 『やろう』  『絶対に失敗しないようにやってくれ』 と、電話盗聴の実行を指示し、資金として現金三〇〇万円を山崎に手渡した (同)。現金の帯がついたまま、シブ封筒に入っていた。
 山崎は、広野に会い、
 『やることになった』  『すぐ準備にかかれ』 と指示し、北条より手渡された三〇〇万円の帯封をはずし、その中から二五〇万円を広野に手渡した(昭和五六・一一・四、山崎本人尋問)。
 山崎は、その後、北条より前記三〇〇万円のほか に、五月十日すぎころ二〇〇万円、五月末ころ五〇〇万円の合計一〇〇〇万円を受け取った。場所はいずれも創価学会本部・文化会館二階の副会長室わきの小会議室であった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 二度目の二〇〇万円は、全額広野に渡し、最後の五〇〇万円は山崎がもち、事後処理等の経費として使った(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。」
 北条が電話盗聴工作費として、山崎に手渡した総額一千万円は、どこから捻出(ねんしゅつ)したのか。
 「2、被告・広野、被告・竹岡の供述は信用できない 資金問題については、後に詳述するとおり、被告・山崎と被告・広野、竹岡との間で、供述が大きく対立している。  すなわち被告・広野は、被告・山崎から右のような全額(合計四五〇万円)を受け取ったことを否認し(昭和五八・一・二七、広野本人尋問)、被告・山崎から受け取ったのは合計金七十七万円にすぎず、被告・竹岡が新学同の資金から流用した金五十ないし六十万円を加えて、本件盗聴に使用した金額はせいぜい金百三十万余円であったと主張する。
 しかし、広野、竹岡らの供述には、後に詳しく検討するように、証拠の偽造をも含む重大な疑義が多数存在するほか、例えば、青木高井戸マンションの保証金を、ニュー外苑ハイツの解約金(たまたま後にガス事故を理由に全額返済され た)によって、まかなうよう、被告・山崎が指示したなどという、矛盾に満ち信用できないものである。 五、実行メンバーの人選と実行の指示  1、実行メンバーの選抜と構成  被告・北条より三〇〇万円の資金を手渡された後、被告・山崎と同・広野は、実行メンバーの人選を行なった。人選は学生部の幹部カードを使った。  すでに、広野のほか、竹岡、北林が準備で働いており、さらに機械づくりのメンバーに松本篤らが加わっていた。そのほかに江口済三郎、奈良憲一ら総勢十数名を選んだ(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
 古川文雄、内田某(同第五総合本部長・内田ゼンリン公明党参議院議員の息 子)、氏名不詳(同杉並区の公明党区議の息子)、氏名不詳(東北の病院でレントゲン技師になった者)、同(大手の電子関係に就職した者)などが、実行部隊にいた(昭和五七・六・二七、山崎本人尋問)
 古川文雄、内田らは、これら実行部隊の人を動かすにあたって組織的なバックアップの役割を果たした。
 右の人選に際し、被告・北林は、日本共産党の情報収集の中心者であったが、前記のとおり、新宿区の替え玉投票事件の主犯の一人で、執行猶予中の身であったため、山崎は、『現場に出さないで、後ろで動くよう』指示した。
 松本については、役職が班長でしかなかったため、山崎は広野にクレームをつけたが、広野は、松本について、
 『電波高校出身で、無線のメカについてはオーソリティである』  『班長ではあるが、忠誠度では非常に信頼できる』 と説明したため、山崎は了解した。
 2、被告・北林らの否認は信用できない
 なお、被告・北林の本件盗聴への関与については、被告・北林自身、否認し、被告・広野、同・竹岡もこれを否認し、『(山崎が)あいつは絶対に使うな』というので『一切関与させていない』と供述している(昭和57・11・17、広野本人尋問)。  しかし、被告・北林は、すでに本件盗聴前に、前記のとおり替え玉投票という汚れた仕事に実行力を発揮して、逮捕され、警察に指紋をとられ、執行猶予中とはあっても、当時の言論出版妨害事件の中で、対日本共産党情報に情熱を燃やし、その知識、分析においても『優れて』いた男であり、被告・広野も、被告・山崎と盗聴の話をしたとき、直ちに  『竹岡君、北林君と相談してやります』 と名を挙げたほどの『適任者』である。
 また、被告・北林が、本件盗聴後の数々の盗聴謀略事件の中心メンバーの一人であることを、被告・広野、同・竹岡もこれを認めている。
 同・被告が、山崎の指示どおり、少なくとも後方で動いていたことは、疑いを入れない。
 なお、被告・北林の『全面否認』が崩壊していることについては、後に詳述する。」       (以下次号)

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