「体臭のきつい池田」
昭和49年には、池田に呼ばれて二階に行くと、誰もいない部屋でいきなり抱きつかれ、顔を引き寄せて口を押し付けられました。また、「散策に行こう」と言われ、戸外なら大丈夫だろうと思ってついて行くと、本館の裏につれて行かれ、そこでも同じようなことをされたのです。
抵抗し、幸いにもそれ以上のことはありませんでしたが――。
その後も再三にわたって、同じようなことが繰り返されました。
ちなみに、池田は、体臭がものすごくきついのです。とくに夏場だったせいもあるかもしれませんが、ニンニクが腐ったような臭いとでもいうのでしょうか、それが身体中から発散されていて、たまらない感じでした。
「池田の下半身」
二回目に私が池田から犯されたのは、昭和58年8月19日のことでした。
早朝、私はいつもどおりに一人で、大沼研修道場の敷地内にあるプレハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていま
した。
大沼の夏は、もやが深く立ち込め、数メートル先も見えなくなります。
入口を背にして、テーブルを拭いていた私に、いきなり池田が後ろから抱きついてきました。
池田は、毛むくじゃらの腕で私をはがいじめにし、脚をかけて、私を押し倒しました。
倒れる瞬間、私はテーブルで左脇のあたりを強く打ちました。また、ブラウスはボロボロに破かれ、スカートも靴下
も無理やり外(はず)されてしまいました。
のしかかってきた池田を押し退けようとするのですが、脚も腰もオモリを付けたように重く、はねのけることなど、
とてもできないのです。
池田は、まるで、狙った獲物に向かって一直線に進む、ケダモノそのものでした。
目的を果たし終えた池田は、外に人の気配を感じたらしく(結局、外には誰もいなかったのですが)、力をゆるめ、
私はようやく解放されました。
このとき、一瞬ではありましたが、私は初めて池田の裸の下半身を見ました。池田の下半身は異常に毛深く、まるで
黒いパンツでもはいているかのようでした。
トレーナーのズボンをずり上げながら逃げる体制の池田は、私の方を振り向き、
「二号さんの顔を見にきたんだよ」
と、下品に顔を崩して笑いました。その笑いは、本当にこの世のものとも思えない不気味さでした。
→「最後は平成3年」へ続く