日蓮正宗からの破門以来、創価学会が最大の敗北を喫した。

 九九年十二月六日、東京地裁(梶村太市裁判長)は、創価学会と池田大作名誉会長に対して、総額四百万円の支払いを命ずる判決を下したのである。

 これはいわゆる写真偽造事件に関して、日蓮正宗大石寺と阿部日顕管長を原告とする総額十億円の損害賠償請求訴訟の判決で、学会はもとより、池田氏個人の責任を問う画期的判断だった。


写真偽造事件の経緯
池田氏は、18日号『新報』の報道内容や写真掲載を知っていた
池田氏の責任
原告側の実質的勝利

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写真偽造事件の経緯

 これまで小紙でたびたび取り上げてきた、写真偽造事件(学会側は『芸者写真事件』と本質をすり替えて表現するが)の経緯を見よう。

 創価学会が自身への反対者、批判者に対して、どのような攻撃を仕掛けるのか、この事件はその見本のような性格を持っている。

  学会による数々の社会的事件の続発を契機に、日蓮正宗(宗門)が信徒団体・創価学会を破門したのは、平成三年十一月のことだ。翌年八月の池田名誉会長の信徒除名を経て、学会は執拗な宗門攻撃を繰り返した。そしてそれは現在も継続されている。

  こうした攻撃の中、とりわけ目立ったのは宗門トップ、阿部上人への個人攻撃である。特に「買春事件」をデッチ上げた、いわゆる「シアトル事件」はその柱だが、一方で、阿部上人が酒興に浸(ひた)り女遊びに興しているかのごとき中傷報道が、連日のように行なわれてきたのである。

 今回の訴訟及び判決は、その学会側キャンペーンの中核が崩壊したことを意味する。掲載の二葉の写真をご覧いただきたい。

 一方の写真では、背景が全く別なものと合成され、しかも隣の人物が消し去られている。一人の人物、つまり阿部上人が芸者に接待されているかのような構図だ。

 もう一枚の集合写真は明らかにトリミングが施され、両脇の人物(男性)がカットされ、あたかも中央の人物(阿部上人)が芸者連に囲まれているように強調されている。  この二葉はいずれも、学会機関紙『創価新報』(平成四年十一月四日号および同月十八日号)に掲載されたもの。もっとも、この二枚への『新報』のキャプションでは、写真の修正=i正しくは偽造ということだが)やトリミングに一切、言及していない。

 つまり、この写真を見て、以下のようなキャプション、解説記事を読めば、あたかも阿部上人が、いかがわしい芸者遊びの常習者であるかのように思いこむ仕掛けになっているのだ。

 『新報』(十一月四日号)は、「日顕が欲すは、『カネ、酒、色』の堕落道」や「芸者の世界は日顕の心の故郷!?」「政子がとめても酒はやめられない≠ニ本音」「まだ信伏随従するのか」とスポーツ紙顔負けの見出しを付けて、こんなキャプションが添えられている。

 「得意のポーズでご満悦――。また出た、日顕の芸者遊び℃ハ真」。

 少々長くなるが、判決文からリードと記事本文を引用しよう。

 「『わたしたちはだまされていた』『やはり、日顕は大嘘つきだった!』――。とどまることを知らない日顕と日顕宗中枢の悪行の数々に、宗内のみならず全国の法華講(小紙注=日蓮正宗の信徒団体)も激怒。各地で脱講者が相次いでいる。このように次から次へと悪事が露見していることこそ、大聖人が、日顕の悪に対して厳しく裁かれている何よりの証でもあろう。もはや、日顕に信伏随従することは地獄への特急券≠手にしているのと同じだ。ここでは新たに明らかになった新事実≠交え、日顕と日顕宗僧侶達の醜い正体≠改めてお知らせする。全国の法華講員、檀徒の皆さん、これでもあなたたちはまだ、日顕に信伏随従≠キるのか」(リード部分)

 本文はこうだ。  「お待たせしました! またまた出ました、日顕の芸者写真!! 今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポーズ。何とも楽しそうな顔だ。怒ってばかりいる瞬間湯沸器≠ゥらは想像もできない。」、「『日顕の遊び癖だけはどうにもならない。でも、あの性格だから、周りからは何とも言えないんだ』『芸者の世界にいると、彼の心は生まれ故郷に帰ったように安らぐのかもしれない。なにせ、彼の母親や政子の母は、その関係者だったのだから』と、ある老僧や宗門関係者。」、「日顕の酒好き、遊び好きには、夫人のイメルダ政子≠熾れているようだ。しかし、この夜も、周囲に勧められるままに、五合以上の酒を飲んでたというのだから、とんだお調子者≠ネらぬお銚子者≠ェいたものだ。開いた口が塞がらない。」、「法主がこんな下劣な男であるから、取り巻きの役僧も末寺の僧侶も放蕩坊主・好色爺ばかり。」、「ああ、希代の放蕩坊主・日顕。そして、好色教団・日顕宗」――。

 もう一方の、集合写真掲載の十一月十八日号タイトルはこうだ。  「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」、「退座の後はここにキマリ 猊座がなくても芸座≠ェあるサ」、「これぞ極めつけ『ワシ、もう成仏≠オそう』」――。こちらも三流雑誌顔負けの見出しである。  続く本文はこうだ。

 「なんとこれは『日顕堕落宗』の総会か? いやいや、とある超高級料亭での一場面です。相も変わらず大尽風を吹かせた日顕クン、この日は特に興に乗ったのか、一座と写真に納まる大サービスぶり。ぶ厚い座布団に鎮座して、脂下がった顔での記念撮影≠ニ相成った次第です。

 どうですか、居心地の良さそうなこの顔=B周りをズラリと芸者衆に囲まれて、いかにもうれしそう。きみたち、もっと近う寄れい。中啓(儀式用の扇。僧侶が使う=小紙注)で殴るのは僧侶だけだよ。おじさん怖くないからね。できればシアトルのスチュワーデスのように、頭を撫で撫でしてくれるとワシ、もう成仏なんだけどナー=B半ば口を開いて、今にも話し出しそう。これが日顕クンの半眼半口≠フ成仏の相とは、イヤハヤ恐れ入りました」(抄録)という具合だ。


池田氏は、十八日号『新報』の報道内容や写真掲載を知っていた

 これらが掲載された『新報』は、宗門寺院などに投げ込まれ、当然のことながら信徒が激しく動揺した。宗門側は、これを合成による偽造写真であるとし、信徒団体の機関紙で撮影場所や日時を明かすよう迫った。

 この厳しい追及に、『新報』報道から三ヶ月後、学会機関紙『聖教新聞』(平成五年二月二十二日付)は、その事実≠公表する。撮影者が宗門を離脱した僧侶であり、昭和六十一年十一月二十二日の東京・赤坂の料亭「川崎」であったと告白したのである。

 こうした事実が明らかにされれば、本来なら学会側が勝ち誇るはずなのだろうが、場所や日時、撮影者が特定されたことで、事態はまったく逆に推移する。   そもそもこの料亭での集まりに阿部上人が出席したのは、宗門高僧への古希祝に同上人が贈り物をしたことに対する返礼として、招待されたものだったのだ。当日の出席者は二十人で、うち八組が夫人同伴(阿部上人も夫人と共に出席)でもあった。要するに、阿部上人がいかがわしい芸者遊びに耽っていた、とする根拠がきれいに無くなったのだ。

 しかも、真正写真を見れば明らかなように、ドギツイ修正(というよりも変造)が加えられていたのである。学会側は、写真提供者からの要望で、他の人に迷惑をかけないよう配慮して、同席者が判らぬよう修正した旨、主張したが、こんな言い訳が通るはずもない。

 訴訟の争点は、こうした偽造報道に加え、池田名誉会長が実質的に創価学会の最高指導者であって、この虚偽報道を制止する義務があったこと。それにもかかわらず、この報道を容認し、制止義務を怠ったことの是非にあった。

 それでは、「池田氏の制止義務」がどのように判断されたか、具体的に見てゆこう。  平成四年十一月十四日、「第十五回SGI(創価学会インタナショナル)総会、第四回埼玉総会」席上で、池田氏は恒例のスピーチを行なう。これは全国の学会会館に衛星放送で同時中継された。

 池田氏は、件(くだん)の報道および事件について、こう発言した。内容は発言を収録したテープからのものである。

 「(略)ねえ、この野郎の首を切りたい……、そんな仏はほっとけですよ。ねえ、あいつらは、この野郎……、そんな大聖人の仏法に全部反している……。情けない男たちです。男だけならいいけれども、そのうち、また、あの、あれ出ますけどね、新報に、この次かな、これちょっと見してもらったけど……。たくさんの美女に囲まれてね。そうだろ、秋谷君(創価学会会長=小紙注)、やめろつったら、秋谷やるっつんだもの。もう、新橋かどっかのね、柳橋でさあ。もう……えっへへへへへへと笑ってね。まあ、みんな……、あー行きたいね、一遍ね。……そういう連中なんです」

 「SGIこそが教行証を兼ね備えている教団なのであります。宗門は教、すなわち御書も軽視している……。一部分だ。行、修行は全くないげい座ですよ。げい座っつうのはね、本当は正法の座を猊座、芸者の方を芸座……。今度は新報見たら、みんなびっくりするだろう、どうだ。私は『出すな、出すな』ったんですよ。でも、まだいっぱいあるっつうんですよ。で、やめろつったんですよ。で、少しはやっぱりね、ああいう連中は、あのー、どこ行っても学会人いるから、もうみんな知ってんですよ。みんなもう写真に撮ってあんですよ。また坊さんがみんな送ってくんです。もううちのね法主どうしようもないからっつてね。もういっぱい送ってくんです。うちじゃなくて坊さんの方なんですよ。戒めてくれっつって。で、宗門は教、行もない、だから当然、成仏も証もない。ね、金儲けうまい。成仏はできません。まさにこれを法滅の姿という。……法を滅する」――。

 この発言の時期であるが、最初の報道(十一月四日号)と次の報道(同月十八日号)の間になされている点に注目いただきたい。

 裁判所はこう断定した。まず池田発言の「あれ」が十八日号の『新報』を指すものであり、 〈本件記事二(十八日号掲載の写真と記事=小紙注)が一般に発行されていない本件発言時において被告池田大作が、本件記事二が「猊座がなくても芸座≠ェあるサ」との見出しを掲げていること、そして同記事が芸者とおぼしき女性七名と阿部日顕上人が一緒に写っている本件写真二(集合写真のこと)を掲げていること等の本件記事二の記載内容を知悉していたことを推認することができる〉 予め池田氏は、十八日号『新報』の報道内容や写真掲載を知っていた、と認定したのだ。


池田氏の責任

 では、池田氏にどんな責任があったのか。判決は「月刊ペン事件」の判断を踏まえ、学会側の「池田名誉会長は信仰上の最高指導者であるが、創価学会組織運営上の最高指導者ではない」(要旨)との主張を、こう一蹴(いっしゅう)する。 〈宗教団体の運営はその指導者の信仰上の指導に沿ってなされるのが当然であり、通常の場合、信仰上の最高指導者であることはすなわち宗教団体の組織の運営上も最高指導者であることを意味するというべきである。被告池田大作が特に象徴的な意味での被告創価学会の指導者に過ぎないと認めることはできない。〉

 池田氏は創価学会の最高指導者と、ハッキリ認定した上で、この記事や写真にどんな責任を負うのか。再び判決文を引く。 〈被告池田大作の被告創価学会において有する地位ないし立場に照らせば、被告創価学会の団体としての一般的な活動の中でなされた違法行為について、被告池田大作が自らそれを指導ないし容認していた場合に被告創価学会と連帯してその被害者に対して不法行為の責を負うことになるのは勿論であるが、被告池田大作がこれを事前に了知していたに過ぎない場合においても、同人には被告創価学会がそのような違法行為に及ぶことのないようこれを制止すべき条理上の義務があり、これに違反すればやはり不法行為に基づく責任を負うというべきである。〉

 創価学会のみならず、池田氏個人の喫した最大の敗北、屈辱であろう。このような認定が導き出されたのは、あまりにヒドイ写真偽造がその原因だ。まず写真のトリミング、背景塗りつぶし等が果たした役割については、 〈各見出し等の記載とそのような加工が加えられた本件写真とを併せ見れば、、その読者は阿部日顕上人が芸者遊びが好きで女性関係で堕落している人物であるとの印象をより強く抱きかねず、本件写真の代わりにそれぞれ原写真を本件記事に掲載した場合を想定してこれと比べれば明らかなように、本件記事においては少なくとも本件写真が阿部上人ひいては原告らの社会的評価をよりいっそう低下させる役割を果たしているものであることは否定できない。したがって、本件写真は本件問題部分の記載等と一体になって原告らの社会的評価をよりいっそう低下させるものというべきである。〉

 学会側の言う修正≠ヘ高くついたのだ。しかも記事内容そのものに至っては、以下のような厳しい判断が示された。 〈本件写真はそれを見た者に対して、阿部日顕上人が芸者同伴の酒席に出席していたとの印象を与えるものであるが、その撮影における具体的な状況が写真自体から直ちに理解できるようなものでないにもかかわらず、本件記事中の記載においては、本件写真の撮影者、撮影日時、撮影場所等がほとんど触れられていないのであって、本件記事自体からは意見ないし論評の前提となる具体的事実を窺(うかが)い知ることはできないのである。

 そうであれば、本件問題部分の記載は、いわば明確な根拠を示すことなく他人の悪口を書き立てているのと同じであり、先に見た違法性判断の利益衡量の背景にある表現の自由の観点からも、これを享受(きょうじゅ)すべき具体的事実を前提とした公正な論評とは、とうてい言い難いものであって、それは阿部日顕上人ないし同人を宗教上の最高指導者として擁する原告らに対して単に揶揄(やゆ)、侮辱(ぶじょく)、誹謗、中傷を並べたに過ぎないものという他ない。〉

 ありていに言うと、こうなる。撮影場所や日時を明らかにせず掲載されたのでは、前提の事実関係が判らない。その上、一方的な修正が施されている。しかも記事内容は、単なる侮辱、中傷でしかない。池田大作氏が、二度目の『新報』掲載内容や写真を事前に知っていたことは、スピーチで明らかだ。したがって、そうした違法行為を知っていながら制止しなかった義務違反が、創価学会最高指導者としてある(ただし、発言そのものによる名誉毀損については、認められなかった)。


原告側の実質的勝利

 謝罪広告や写真掲載差し止め等は認められなかったものの、原告側の実質的勝利に変わりなく、学会側弁護団の奮闘°浮オいものに終わったということだ。学会側は即日控訴したが、今回の判決は後に控える宗門VS学会訴訟にも多大の影響を与えるに違いない。

 この判決の翌日、同じ東京地裁で「シアトル=クロウ」事件裁判が結審した。  こちらで争われているのは阿部上人の「買春事件」報道に対する名誉毀損の有無だが、報道が捏造や虚偽であった場合、池田氏の事前の発言等がそれを追認するものであったとすれば、その責任は免れえない、という構図になる。

 しかも、この裁判に併合された、いわゆる「FBI」事件を思い起こしていただきたい。これは「米連邦政府内に阿部上人が買春嫌疑をかけられた証拠がある」と、学会側が一方的に報道したものに端を発したものだが、こちらは結審当日に至っても、学会として「証拠」なるものを結局は提出できなかった。ありもしない「証拠」なるもので、人を犯罪者∴オいにしたのである。

 『聖教新聞』(十二月七日号)は、「偏った不当判決」だと悲鳴を上げるが、二面に掲載された写真は、さすがに原写真を使わざるをえなかったのはお笑いだ。   いずれにしても、今回の判決で抉(えぐ)りだされたのは、反対者に対しては、写真を偽造してまでもデッチ上げキャンペーンを行なって、恥じない、学会の体質だ。しかも、他人の古希祝いにゲストとして招かれ参加した人物を、芸者遊びの主人公として仕立て上げる(記事およびキャプション)、おそるべき陰謀性にあることは言を待たない。

 このような集団が、自己の配下にある政党を使って、どんな「事件」を捻(ひね)り出すのか、今後とも、空恐ろしいものがある。<関連情報>

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