17.池田との異常な関係で離婚されたHさんの場合

 自分の手の付いた女性を他の男に分け与える。考えただけでもおぞましい行為が、今なお信仰指導の名の下に行なわれる。

 かつて、原島嵩、山崎正友らによって証言・暴露された、池田と取り巻きの側近女性の異常な関係。

 それらの女性の男性幹部へのお下げ渡し事実。Hさんという一学会婦人部幹部の二回目の結婚にまつわる騒動は、それらの事実をまた一つ裏付けることになつた。

 Hさんは昭和31年の入信。43年に34歳で本部職員となった。婦人部から学会本部に採用されるのは、異例中の異例。池田の大抜擢があったのは確かだ。Hさんには二回の結婚歴がある。その二回目の結婚でHさんは、新婚旅行から帰った翌日に早くも離縁された。いったい、何が起きたのか。

 Hさんと夫のAの結婚は五十五年、Aが五十七歳、Hさんが五十歳の時だった。Aが後に遇刊誌で告白したところによれば、結婚披露宴で挨拶をした多田省吾の祝辞が、じつに珍妙だったという。

 「池田先生が誰それと関係があるとか、いろいろ書かれていますが、相手の女性にはそれぞれ主人がいる。そんなことはあり得ませんよ。いいかげんな週刊誌が多いんです。」

 Aは、結婚披露宴のめでたい席で、どうしてそんなはしたないことをいうのかと、疑問に思った。

 騒ぎが起こったのは、一週間ほどの新婚旅行を済ませた翌日だった。妻が「池田先生に挨拶に行こう」といい出したのだ。かつて第一庶務室に勤務した経験のあるHさんは、池田が自宅にいることをしっかり確認し「今行けば、会ってくださるかもしれない」と池田家に夫を連れていった。

が、玄関口に現われた池田夫人は「主人は寝巻姿なので出られない」と、冷たくいい放ってとドアを閉ざした。

 そのまま自宅に戻ったAが「家にいるのに出てこないなんておかしいじゃないか」というと、Hさんはいきなり怒りだした。「池田先生のことを悪くいうなんて許せない」と叫びながら、手当たり次第に物を投げつける、ヒステリー状態に陥った。

 Aはこれにびっくり。こんな女とではとても一緒に暮らせないと、すぐ離婚を決意、実行に移した。これだけなら、確かに異常ではあるが、どこにでもある、単なる夫婦喧嘩に過ぎないかもしれない。

 問題は、Hさんが出ていった後しばらくしてからAに届いた、一枚の手紙だ。中身は便箋一枚の簡単なもの。週刊誌の切り抜きのような文字が貼られてあった。

 「(池田大作と関係のあった女性)七、八ニンノナカニアナタノオクサンモイマス 五月号ノシュウカンシンチョウニ、貞子ト名入リデノッテイマシタダイサクノツカイフルシヲイタダイタノデスカ」

 いったい、誰がこの手紙を出したのか、定かではない。しかし、池田がこの夫掃の新婚旅行直後の挨拶に出てこなかったのは、自分のお下げ渡し女をもらった亭主と顔を合わせる気になれなかったのではないか、とAは後に述懐している。Aは今、三人目の女性に恵まれ、平穏な日々を送っている。池田のお手つき女を黙ってもらい、心ならずも池田に平身低頭してみせる学会幹部のその後の苦悩と比べ、Aの悠々自適な生活は対照的だ。

           《『スキャンダル・ウオッチング』71頁》


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