シリーズ検証 創価学会・金銭疑惑

"身から出た、サビた金庫事件"     自由の砦 平成9年10月10日号より


 「結論から申し上げると、この現金と金庫は私のものでございます。」

 平成元年六月、横浜市旭区のゴミ処理場に捨てられていた、現金一億七千万円入り古金庫事件の記者会見(七月三日)で、聖教新聞の中西治雄・元専務理事(当時ー60)が、こう口を開いた。

 記者会見の当日、会場には日本図書輸送(創価学会関連企業=問題の一億七千万円入り金庫を聖教新聞社地下から、ゴミ処理場まで輸送した会社)の大川清幸社長、青木亨聖教新聞代表理事、それに、創価学会顧問弁護士などが同席した。

 その会場で、中西は大要、次のように釈明する。

 「昭和四十六年頃から三年間、総本山大石寺で"金杯"の売却で二億円の売り上げがあり、予想外にうまくいって一億七千万円の利益を得た金」

 「金はすぐ使うつもりはなかったので金庫に入れておいたが、そのうち忘れてしまった」

 「その金庫は、学会の知人から譲り受け、自宅が狭いので聖教新聞社の地下倉庫においた」

 「法人登記はせず、個人で商売したもので、脱税の金」

 「(一億七千万円は、帯封が複数の金融機関にわたっている、という質問に)金の管理は他人に任せていたのでわからない」

等、しどろもどろの口調ながらも、一億七千万円の所有者であることを釈明した。

 中西氏の釈明について、その後、マスコミの取材に応じた原島嵩・元教学部長は、

 「すべてデタラメ」

と、感想を漏らしていたが、同氏に限らず、学会に少しでも精通している人間なら、およそ、納得できる釈明ではなかった。どこが、矛盾するのか、検証してみよう。

 まず、中西氏が総本山で金杯を販売したという事実関係について。

 この事件で「聖教新聞社」も調査したようで、こんな「調査報告書」を発表している。

 「中西は、昭和四十五年ごろから、業者が総本山大石寺に建設中の正本堂に関連する記念品、土産品を勝手に製作して、次々と持ち込んできたことへの対応を担当していたところ、その立場を利用して、将来の生活の保全、個人の事業欲などの動機から、その意図を隠して、金杯、扇、楯、額、メダル等を自ら販売して利益を得ることを図り、約四年間にわたって実行して現金を蓄積した」(『聖教新聞』平成元年十月十七日付)という。

 この中西氏の発言、及び学会の調査報告書は、どこが矛盾するのか、箇条書きに列記してみよう。

 一、総本山境内で、土産品点を開く場合、当然、総本山側の厳しい審査のもと、認可が必要である。中西氏(あるいは他人名義にしても)は、総本山の許可を得たのか。

 一、同じく、境内には、当時、二百店近い土産物店が存在し、組み合いが結成されていた。出店する際には、この組み合いの同意も必要である。中西氏は、この組み合いの許可を得ていたのか。

 一、法人届けは出していなかった、という。つまり、他人の法人所有(宗教法人)の土地に無断で店を出し、商売をしていたことになる。いわゆる、もぐりの店だ。その店は、どの場所にあったのか。まさか四年もの間、総本山側や売店組み合いが、見逃していたとは思えない。

 一、四年間で純利益が二億円に近い。年間にして五千万円。月に五百万円である。これは販売額ではない。純利益である。仕入れ代金、人件費、他、店の運営費等必要経費を加算したら、少なくとも月々、純利益の数倍の金が動く。中西氏一人ではできない。経理担当、販売員、配送係、これら従業員は、すべて創価学会員と思われるが、これら社員たちの経営四年間に及ぶ保険等はどうなっていたのか。

 一、無届けで、脱税の金、と中西氏は証言した。月五百万円の純利益といえば、境内の売店では、トップクラスの黒字店。四年間も、地元の税務署は放任していたのか。

 次に、儲かったその金の保管はどうしたか。前出の「調査報告書」にこう記されている。

 「銀行預金では表ざたになる可能性もあると考え、当初、現金のまま身の回りに置いていたが、そのままにして置くわけにもいかず、その後(知人が経営していた大道商事株式会社が事務所を移転する際、金庫を処分することを聞き、無償で譲り受け、自己の立場を利用して)第九倉庫に運び込んだ金庫の中に入れてひそかに保管していた」

という。

 この調査報告書は、創価学会が行なったものだが、中西氏とグルではないかと思えるほどの、矛盾点がある。

 例によってその矛盾点を箇条書きに列記してみよう。

 一、中西氏は、自分の立場を利用して金儲けを企んだという。学会はアルバイトを禁止しているし、前号でも触れたように、当時、中西氏は、池田大作・会長(当時)の"金庫番"といわれた人物である。つまりは、多忙を極めていた。その中西氏が、月に五百万円の純利益を得るほどの副業をしていた。片手間でやれる仕事ではない。四年間、学会本部は、中西氏の行動に気が付かなかったのか。

 一、最初、儲けた二億円近い金は、身の回りにおいていた、という。要するに自宅である。二億円といえば、大きなジュラルミンのカバン二箱分。

 「家が狭い」(中西氏発言)中に、脱税の金、二億円を隠すには容易ではない。当然、家族も知っていたはずだ。その家族に、サラリーマンが一生かけても手にはいらない巨額現金の出所を、どう説明していたのか。

 一、知人から、重さ四〇〇キロの耐火金庫を聖教新聞社の地下に持ち込んだ。あの、警備が厳しい、表面玄関の受付を通り、どうやって聖教新聞社の地下に金庫を搬入したのか。

 しかも古い金庫である。たとえ、中西氏がウソの説明をして運び入れたとしても、周囲に疑問を持つ学会幹部は一人もいなかったのか。

 一、本部職員でありながら禁止されているアルバイトで儲けた、しかも脱税の金。その上、自ら信仰する総本山を利用し、同じ信者を商売にした私利私欲の金だ。

 学会草創期からの幹部だけに中西氏は、こうした二重、三重の背信行為に、罪の意識を強く感じていたはずだ。せめても、他人には識られたくないという気持ちも強い。それをわざわざ、なぜ自宅から証拠の現金を、人目の多い聖教新聞社に運んだのか。

 それも、見つけてほしいといわんばかりに、大型の金庫まで用意した。こんな説明は、幼稚園児でも納得しない。

 一、聖教新聞に報じられた「調査報告書」もそうだが、極めつけの偽証は、

 「銀行預金では表ざたになる可能性もあると考え」

て、現金のまま身の回りに置いていた、その金を金庫に、と、釈明した下りだ。つまり、儲けた金は、銀行に入れなかったという。これはウソもいいとこだ。

 ゴミ処理場から発見された一億七千間年の金は、銀行(太陽、三菱、住友、静岡)の帯封がかかっているピン札である。だいたい、銀行に預けていない金を、どうやって、銀行の帯封をつけることができたのか。

 そればかりではない。札束の中には、まだ市中にさえ出回っていない大蔵省の帯封もあったのだ。明らかに銀行を経由した金である。それとも、総本山に参拝する学会員が、帯封された万札で、金杯を購入したとでも言い張るのか。

 中西氏及び学会の調査報告書には、あまりにも矛盾点が多過ぎた。では、一億七千万円の、本当の所有者はだれであったのか。    (続く)

     


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